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寄贈メッセージ
人形の寄贈者・川本喜八郎氏より

 飯田を初めて私が訪れたのは、1990年の夏、人形劇カーニバルに、私が人形美術を担当した日本の劇団「かげぼうし」と、中国楊州の人形劇団の合作「三国志」が招待作品として上演されることになった時です。その折、竹田扇之助氏の竹田練場を訪問し、また、新しく出来た人形劇場などを見る機会を得ました。

 幸い、「三国志」の公演は好評を得ましたが、他の人形劇団の公演を見る機会も逸し、また、飯田の町をゆっくり見て歩く時間はなく、その時はただそれだけの訪問にすぎませんでした。

 1992年の2月、飯田で、私の人形アニメーションの上映会が開催され、沢山の方が見に来てくださいました。若い人からお年寄りまで、年齢の幅はかなり広いものでした。上演のあと舞台の上で、私にインタビューがなされ、観客からの質問に対して私は答えていました。その時感じたことは、年齢に関わらず、その質問が、大変人形の本質に迫るものであったということでした。

 それから、アンケートに書かれた感想を読み進むうちに、更にその感を深くしました。これは、人形劇カーニバルで訓練された観客だからだろうか、というのがその時の私のあやふやな結論でした。

 その後、飯田から様々な資料が送られてきましたが、その中の二冊の本が、飯田に対する私の認識不足を衝撃的に突いたのです。一冊は、飯田市美術博物館調査報告1「伊那谷の人形芝居『かしら目録台帳』」、もう一冊は、黒田人形保存会編「伊那谷人形概観と黒田人形」でした。「かしら目録台帳」に載っている素晴らしい古い首(かしら)の数々。既に現在の文楽の首にも残っていない、享保の雛のかしらを想わせる様なものまでがあるのを見たとき、私は江戸時代の飯田の活力がまざまざと目に浮かんできたのです。更に、これだけの研究をなさった現代の飯田の方々の人形に寄せる情熱に感動しました。

 「伊那谷人形概観と黒田人形」はその情熱を裏付ける人形の歴史でした。私は江戸時代の伊那谷の農民が、人形の魅力に狂い、幕府の禁令をはねのけて人形芝居を公演してしまうそのエネルギーに圧倒されました。古い記録をもとに、このような詳細な人形の歴史を纏められた街が他にあるでしょうか。その後、私は何度か飯田を訪れ、下黒田の天保の人形芝居小屋や人形遣い吉田重三郎の墓などを日下部新一氏にご案内頂き、また、今田人形座を訪問することも叶い飯田に対する想いがますます深くなって行くのを感じました。

 同じ年の9月、飯田で再び、私の人形アニメーションの上映会が開催されました。今度は、女優の岸田今日子さん原作の「いばら姫またはねむり姫」を上演して、岸田さんと対談することになっていたのです。岸田さんは戦争中疎開で、飯田で学生時代を過ごし、同級生の方が沢山見に来てくださいました。この回も観客の反応は大変素晴らしいものでした。私は謎が解けた想いでした。飯田の観客は、長い人形の歴史を反映したものだったということが判ったのです。

 私は、若い頃から演技をする人形を作り続けてきましたが、人形の本質について根本的に教えてくださったのは、チェコの人形のアニメーションの巨人、イジィ・トルンカ氏でした。それまで甘い認識しか持っていなかった私は、目から鱗が落ちた気がしました。彼は日本に来たことはなかったのですが、日本の伝統文化について、正確に把握していました。チェコの留学から帰国した後、私は今までとは全く違った目で能や歌舞伎や文楽を観るようになり、改めて日本の先人達の優れた能力に感動しました。

 私のもう一人の師は、それらの先人達でした。自分の人形の中に先人達の工夫を取り入れ、現代の人形ドラマに生かすことが私の信条となったわけです。

 私の人形アニメーション、またテレビの人形ドラマ「三国志」「平家物語」などは総べてこの信条で貫かれています。私の人形の美術館が建てられる地は、人形の歴史と、人形に対する情熱を持った人の住む飯田をおいて無い、と殆ど総べての作品の寄贈を思い立ったのは、このような理由からです。一口に「伝統の継承と発展」と言うのは易しいことです。しかし、不易流行の作品は一日で出来るものではありません。

 伝統を継承し、発展させてきた私の人形の美術館は、それが建設され、人形が展示され、人々がそれを鑑賞するだけでは、その使命は半ばだと言わなければなりません。将来に向けて更に発展して行くことが、この美術館の真の使命だ、と私は考えています。継続的なワークショップによる才能の発掘や、組織的な人形に対する学習。そういう組織と指導者と学生が揃って、初めてこの美術館は存在の意義が確立します。

 昔、田代斎、渡辺多蔵といった、人形芝居を引き継ぐ天才を輩出させた飯田に、今もそういう才能が眠っていないと誰が言えましょう。私の人形美術館の建設は、飯田の人形のルネッサンスをもたらすものではないか、と私は予感しています。

「紙魚食ひに木偶もの狂ひ名を連ね
               喜八郎」
平成6年12月吉日
川本喜八郎

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